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野菜プロジェクト
沖縄・伊江島から、被災地仙台へ野菜を送ることで人と人を繋ぐプロジェクトです。
カンパのお願い
「はなつちの会」はカンパをお願いしております。送り先・連絡先をご覧ください。

被災地仙台からのメッセージ


「震災から3回目の春が巡って来ました。」

息子がつくしご飯が好きで、毎年、保育園の行き帰りに摘んでいました。
それがもうできない、いつまでできないんだろう。
1年前、「ダメって言ったのに、子どもがつくしを摘んでくる。どう言ったら伝わるんだろう」と悩んでいたあるお母さんを思い出します(放射性物質を取りこみやすいと言われている胞子を子どもが吸い込むことを心配してです)。
なんてヘンテコな世界になってしまったんだろう。

アナザーワールドに住んでいる、と思うことがあります。
災前と震災後は別世界。
放射性物質がたくさん降った地域と降らなかった地域は別世界。

 NaIシンチレーション検出器を「シンチ」と略し、ゲルマニウム半導体検出器「ゲルマ」と略して日常的に話す。「移行率」の高い低いを考えながら食べ物を選ぶ。これらの言葉は共通語でしょうか、放射能が降ってしまった地域の新・方言でしょうか。
 畑から採れる野菜は検出限界値(10ベクレル程度)以下 が多いけれど、山菜やキノコ、木の実(クルミや柚子、梅な ど)、穀物の中でもソバは出やすい。 果物もちょっと心 配。、、、こんなマニアックな知識もいまや常識?
「もう放射能は飽きた〜。他のこと話したい〜」こんな声 多数!だけれど。
長く取り組んでいくしかありません。

 仙台・宮城は、地震・津波・原発事故のトリプルで災害が襲って来ました。 三つとも、まだまだどうにもなっていません。
 ひびだらけの地下鉄の駅の壁、JR仙台駅のひびだらけの床は直さないのかなあ。
それぞれの業者は忙しいし、資材の価格も上がり、家の修理もできずにそのまま住み続けている人がたくさんいます。建設業者は忙しくてもうかっているかと思えば、解体工事は七次請け、八次請けまで横行して施工業者は赤字、という報道がありました。
 さらに。宮城県は、2月に汚染牧草とほだ木の焼却の方針を発表しました。個々の農家、畜産農家で保管するのが限界で保管場所や方法を考えるべきなのはもちろんですが。キロ当たり8000ベクレル(以下)のものを燃やすってなに?? (岩手県では既に汚染牧草の焼却が始まっています)

 なんて理不尽な世界。

 15年以上パレスチナにかかわって来たから、理不尽な世界が、非日常が日常となっている世界があることを知っていました。そこで、現実を笑い飛ばしながら、でも、向き合って様々に取りくんで暮らしている人たちがいることを知っていました。でも、自分がそんな立場になると思っていなかった。自分がみんなに応援される側になるなんて、全く思っていなかった。

パレスチナのことを考え、震災後の自分たちのことを考えて「理不尽な世界であきらめずに楽しく生きる」と書いたら、たくさんの反響がありました。宮城県の津波の被災者からも、辺野古で活動して来た人からも、全国各地から。
向き合っている内容は様々ながら、あきらめない人たちがあちこちにいるという嬉しさと頼もしさ。これからも一緒 に。よろしくお願いします。

皆川万葉
せんだいコミュニティカフェt,table
パレスチナ・オリーブ

「沖縄の草に助けられる」

震災後、はなつちの会とご縁をいただき、色々な支援を受けてきました。
学生時代、卒業旅行に沖縄を選び、沖縄戦の悲惨な歴史、それより昔からの日本による侵略の歴史、今に続く米軍基地の問題などを知りました。
一方で美しい島々と日本では失われつつある素朴な人々の優しさ、あたたかさに触れ、すっかり沖縄に魅了され、何度通ったことでしょう。

震災を経て、その大好きな沖縄から、支援を受ける側になるとは。夢にも思っていませんでした。
私の母方の実家は古い農家で、もう千年以上、同じ土地を耕して生きてきました。その土地も、汚染されました。確かに、野菜に移行される放射能は、基準値に比べればとても低いかもしれない。でも、汚染されたという悲しみには、変わりありません。
しゃあねえべ(仙台弁で、仕方ないべ、の意)といって土を耕し続ける人たちが一番被曝の危険がある現実。胸の痛む風景が、場面が、日々の暮らしのあちこちにあり、その痛みをどこでも吐露できるわけでもなく、みんながそれぞれの立場でそれぞれの痛みを抱えて生きています。

震災後、自分がはじめて被害者という立場になり、今まで沖縄に対してもっていた思いも、どこか他人事だったのかもしれない、と気づきました。
本当に大変な立場に理不尽に立たされるということは、その身にならないとわからないことだ、と。
そして、もう千年も前にこの地に、やはりヤマトンチュたちがやってきて、侵略されていった東北の歴史にも改めて思い至っています。東北に住んでいた蝦夷の村が、どんどん焼き討ちされて、北上しながら逃げたこと、多くが殺されたこと、今でも細々と語り継がれています。そしていま、こうして東北が東京電力の原発のために広く汚染され、暮らしを、土地を奪われるという目にあい、改めてこの地の受難を思うたび、やはりたくさんの痛みを経験している遠い南の島から、応援の手が寄せられていることは、それだけでなんと力強い励ましになっていることでしょう。
そして、それを支えるカンパを京都の人々が行ってくれているということにも、なんだか歴史の深い縁すら感じています。
雑穀や、小麦など、なかなか安全なものが本土で手に入りにくいもの、とても助かりました。それから、忘れもしないの が、たくさんのヨモギをいただいたこと。自然に即した暮らしを大切にしている、私たち虹のこども園では、春にはヨモ ギ摘みをして、草餅にしていただいてましたが、それが叶わなくなり、悔しい思いをしていました。そこに、沖縄からいっぱいのヨモギが届き、みんなで千切って草餅作りができたとき、ああ、沖縄の草から生命の力のお裾分けをしてもらってる、と涙が出そうでした。

これからも、繋がり続けてくださったらうれしいです。
東北の踏ん張りどころは、これからなのだろうという覚悟もあります。
目にするベクレルは下がったように見えても、見えないところで汚染は濃縮し、進んでいます。それは、必らずや私たちの暮らしや命を、色々なかたちで脅かすでしょう。それに負けないくらいの健やかさを、私たちは育てていかなければいけない。繋がっていてくださること、忘れずにいてくださること、それは確かな力になります。

虹乃 美稀子
虹のこども園
母子週末保養プロジェクト ちいさなたびJAPAN


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