メッセージ(2014)(7)佐藤友子
京都市左京区で、「キッチン・ハリーナ」という小さなごはん屋を営んで11年になります。「はなつち」とは店を手伝ってくれている矢ヶ崎響さんの紹介で、出会いました。そして昨年2月に屋嘉比さんファミリーに伊江島や今帰仁を案内していただきました。阿波根さんがその生命をかけて創られ た反戦平和資料館にはありとあらゆる戦争の辛酸と悲惨が詰まっていました。そこから一歩外に出れば、さやさやとそよぐ麦畑やサトウキビ畑、碧い海 と空が広がっています。今なお続く沖縄の苦しみは碧い海と空を駆け巡って東北とつながっていくようでした。こんな私でもつらかったのです。しかし 同時にわびあいの里の優しくもたくましい女性たちに抱きとめられ、力をいただいた時でもありました。
この出会いを通じてハリーナにも伊江もんが届けられています。黒糖、全粒粉、おばー茶、あおさ、じーまみー・・・。どれもこれもとてもおいしい。もともとハリーナは民衆交易のバナナや黒糖、コーヒーとの出会いや、心ある小さな生産者との出会いを通じて始まりました。祝島からは、新鮮な 魚やひじき、びわ茶。若狭からはお米やわかめ、牡蠣。水俣からお茶やジャム、市内から季節の野菜が届きます。メニューはその時々に届いたもので決 まります。様々な人々からお裾分けしていただく食材にいつも感激しながら調理しているのです。
「今日はわびあいの里のあおさの味噌汁です」とお伝えしながらごはんを提供できることはうれしいことです。興味を持たれたお客さんには現地の情報をお伝えすることにしています。
ここ京都に住んでいると黄砂やPM2.5を気にする人はいても被曝のことは日常的な会話の中にあまり出てきません。先日のことです。小浜から届いた測定済みの岩牡蠣を焼いてお出ししたら、ぼろぼろ涙をこぼしながら召し上がる方がいました。「おいしい、牡蠣の味なんてこの3年忘れていまし た」と。母子避難の方でした。たくさんの避難者の方が京都で、知らされていなかったとはいえ我が子を初期被曝させてしまったという苦しみや、住宅、就労といった経済的苦悩を抱えながら必死で生きておられます。自分たちの健康だけでなく、避難できない多くの方のための保養キャンプを企画し たり、心のケア、測定する権利をもとめて闘っています。
できるできないの価値観にとらわれてしまうと本当に苦しくなります。だって、私にはなにができる?と考えてもできることはなにもない。そんなとき、イメージするのです。あの人、この人、さまざまなところで、きっとその人らしく生きているだろう。それが確信できるってことがありがたい。は なつちにかかわる方たちもきっとそうだ、と思っています。
私は秋田で生まれ育ちました。時の権力に反逆者と烙印を押された蝦夷の血が身体の奥に流れていると思っています。この1年、母の介護のため、何度も新幹線で素通りする度に仙台で降りて、てとてとお訪ねできたらなあと思っていました。きっとそのうちに。
佐藤友子
(ハリーナで取り扱うの伊江島商品は、直接買いつけているもので、はなつちの流通とは別です。ハリーナの佐藤友子さんとお客さんは、はなつちの会を応援してくださっています。)