野菜プロジェクト
沖縄・伊江島から、被災地仙台へ野菜を送ることで人と人を繋ぐプロジェクトです。
カンパのお願い
「はなつちの会」はカンパをお願いしております。送り先・連絡先をご覧ください。

メッセージ(2014)(3)皆川万葉


 せんだいコミュニティカフェt,ableは、2014年5月末に正式に解散いたしました。
 これまで、カンパやお野菜を寄せてくださり、本当にありがとうございました。
 思えば、せんだいコミュニティカフェ準備室(その後t,ableと改称)は、2011年7月に伊江島から送ってもらったお野菜を使った「沖縄ナイト」で始まりました。

あの頃はまだ放射能の市民測定所もなく、毎日、安心な食べ物探すのに大変なストレスがありました。安全なだけでなく、生き生きとして美味しいお野菜は、私たちの心と体をゆるめ元気づけてくれました。あの夜、震災以来、久しぶりに笑ったことを思い出します。その後も、コミカフェのイベントなどの度にお野菜を送っていただき「はなつち」のプロジェクトに発展しました。

 まず集って美味しいものを食べて話をしてほっとする、という集まりは、やがて、必然的に、震災後の「暮らし」をともに考えるきっかけの集まりとなっていきました。「モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし」をコンセプトにした連続トーク企画では、原発事故後の「食」を問う話があり。気仙沼出身で京都在住、イラクの文化支援を行うPEACE ONの相沢さんの話があり。仙台から移民したおじいさんを持つ日系ブラジル人のヴァレリアさん(おじいさんの親族は今回の津波で被災)の話があり。

 被災地から京都、沖縄、世界とつながる視点で暮らしを考えること。それは、コミカフェが解散しても、ほかの活動に引き継がれています。

 私自身は、山梨県の甲府市に移住して1年が経ちました。ときどき仙台に帰っては、山梨と宮城のギャップに愕然とするものの、なじみの友人・知人と会って、なじみの場所を訪れて、気持ちが癒されています。原発事故の自主避難では、元の友人・知人関係、親族関係を断ち切るようにして出てこざる得なかった人も多いです。私は幸いなことにそうではなかった(震災時に小学校1年生で原発事故後にすぐ仙台を離れた息子はいまは仙台と縁の切れた生活をしています。でも、またつながり直すこともあると思います)。人をつなぐこと、話をし続けること。理不尽な世界であきらめずに生きていくこと。一人だったら、こんな世の中でもう何もする気がなくなっていたかもしれない。つながりがあるから、あきらめられない。一人一人が大切にされる社会をみんなでつくりたい。軍用機の音なんてしないところで、おいしいご飯をみんなで食べたい。そう思い続けています。

皆川万葉(パレスチナ・オリーブ)