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東日本大震災から4年がたった。国からの支援も一区切りになる節目に、仮設住宅からの転居も、様々な事情からかなわない人たちもいる。海岸沿いに行けば、以前と同じ風景が戻ったとは言えない。事故を起こしたフクシマ核発電所の周辺の風景の様変わりも、はなはだしいものだろう。肉親を亡くした人の心の痛みも、癒えることなくまだまだ続いていることだろう。だが、被災地と言われる宮城県に住んでいても、被災地の状況が今どうなっていると言われても、わかりにくい状況になっている。ましてや、それぞれの人が体験したあの2011年の3月11日とそれに続く体験は、それぞれの人の心の奥に内面化されてしまい、表に浮かびあがってくることなく、日常の中で見えなくなっていっているのだと思う。個人的にはその思いがいつか爆発的に表面に上がってくることはあるのかもしれないが、集団意識の中では、もうどんどん意識の底流に押し込まれていくのだと思う。 特に、核発電事故と、放射能汚染とその被害については、そうなって、いやそうされていってしまうのだと思う。宮城県では、県のトップをはじめ多くの人たちが、はじめから県境からこちら側には、放射能は飛んできていない、何もなかったのだからという態度なのだから。

ぼくは、フクシマ核発電所の事故は終わっているとは思わない。進行中で、いまでも危険だと思っている。しかし、安倍首相をはじめ、核発電を今後も推進したい、この国を動かしていくのにはるかにぼくよりも力を持っている人たちは、「事故はたいしたことではなかったし、収束しています。放射能の影響も大したことないので、気にすることはありませんよ」と言う。そういう発言を聞くたびに、放射能の影響や、子どもたちへの影響を考え、事故の後1年間苦悩し迷い、より放射線量の低いところへ引っ越しを決めるまでのぼくの苦労はなんだったのだろうかと思う。たとえて言えば、殺人犯が、被害者の遺族に向かって、「どうせ人間はいつか死ぬのだから、そんなに気にすることはありませんよ」と言うようなものだ。

つい最近、職場の同僚と話していて、仙台に住んでいる人は、仙台の土壌がどれくらい汚染されているのかを知らないことに気づいた。この同僚だけでなく、仙台や宮城県に住んでいる多くの人が自分たちは福島と違って安全なんだ、何も変わったことは起きていない、と思っていることだろう。だが、宮城県にも濃淡の差こそあれ、放射能が降り注いだことは厳然たる事実だ。土壌を測定してみれば、どこにどれくらい放射性物質が存在するかはわかるし、その値は核発電所の事故後何百倍〜何万倍になっている。この同僚と話して思ったことは、普通の人がそういう事実を知らないのはあたりまえのことであり、なぜぼくがそういうことを知っているかと言えば、それは実は、ぼくが震災後恵まれた支援を受けることができたからだということだ。そういうことに、あらためてぼくは気づかされた。

ぼくは、たまたま震災前、宮城県の南部で自然農に興味を持ち、野菜作りなどをしていた。自然農とか有機農業とかは、とにかく少数派なので、どこにどういう人がいると分かるので、なんとなく地域でゆるいネットワークができていた。その幸運のおかげで、震災後の早い時期に、物理学者の矢ケ崎先生や、ジャーナリストの守田さんの支援を受けることができたのだ。震災の前は、核発電の仕組みも、放射線の種類も、ベクレル、シーベルト、セシウムなんて用語も一切わからなかったのに、二人のおかげで、二人が被災地で放射能に苦しむ人たちに寄り添ってくれたおかげで、ただしい知識を得て、どういうふうに行動をしていけばよいのかを、少しずつ探り当てることができたのだ。

だから、もしぼくが普通の人よりも放射能や現状に知識があるとすれば、それは幸運にも矢ケ崎先生や守田さんのような人たちから支援を受けることができたからだ。災害や被災の支援というのは、とても難しい問題だと思うし、逆の立場になってぼくが他の人を支援できるのかはわからない。人の苦悩や苦しみに寄り添ってくれる支援と、安倍首相や宮城県の村井知事のように、苦しんでいる人や苦悩している人の心に届かない、冷たい支援の差は何だろうと考える。矢ケ崎先生とも守田さんとも、直接そういう話はしたことがないけれども、たぶん、ぼくはバックボーンやふだん見ているものの違いなのかなと思う。矢ケ崎先生は、広島の原爆裁判では、原爆の被害を少なく見せかけ、なるべく認定患者を出さないようにする国に対して、原告側の立場に立って学問的な証言や証拠提出をしてきた方だ。守田さんは、「社会的共通資本」を提唱した宇沢さんに教えを受けた人だ。「社会的共通資本」とは、教育と医療とか、社会全体にとって意味のある財産や制度を大事にしていく経済だ。だから、二人とも、初めから、弱い人・苦しんでいる人の側に立ち、目を向けて来た人たちなのだ。

でも、安倍首相のような人は、(人間としては、決して悪意のある人だとは思いたくないが)、まわりのお友達が皆お金持ちで、困っているが人がいないので、アベノミクスで恩恵を受けてない人がいるというマスコミ報道があると、「うそを言うな!おれの周りの人はみんな喜んでいるぞ!」と逆切れして、マスコミを呼びつけるのだろう。宮城の村井知事も同じようなもので、まわりのお友達が、みなコンクリートで作る巨大防潮堤に喜んでいれば、それ以外の苦しんでいる人の光景、特に心の苦悩なんかは目に入らないだろう。

人間は普段見ている風景しか目にしようとしないし、そのことしか理解できない。だとすると、人間は永遠に分かりあえないし、永久に分断される。震災4年後、「分かりあえないこと」が、被災地でも、日本全国でも、世界中どこでも、ますます大きくなっていくような悪い予感がする。でも、「分断」を乗り越えていかなくちゃと、思う。

(元よつば農場 原田禎忠)

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